2015年12月31日木曜日

三男、ボーカル、佐藤和夫


皆様、明けましておめでとうございます。








SaToMansionのVo.佐藤和夫です。




このページを覗いている新年早々暇なあなた達へ、少しだけ小話をさせていただきます。


まず、
僕はチンピラにはなりません。(ユキシロブログ参照)

ギターが弾けなかったらなってたかな、、

せっかくなので、今日はそんなチンピラ予備軍を思わせるエピソードを1つだけ紹介しよう!(ネットにあげれるヤツ🙆)
(注)かなり、長いです。


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SaToWars~エピソード1~

第1章「明日があるさ」




 僕は小学四年からギターを弾き始めましたご存じの通り兄の影響です。
勉強もスポーツも人並みにやりましたが人並みなのでおもしろくない、そんな時出会ったのがアコースティックギターでした。
とり憑かれたように弾きまくったのを覚えています。
その時すでに自分の居場所とゆうもがどこにあるのかさまよっていたので、もうとり憑かれたようにギターと時間を過ごしました。

 中学に入りバンドを組み、組んだらライブがしたい、できるだけ人が多いとこで、、3年の文化祭、先生に、おいライブやらせろ!

 「は?お前みたいなやつをステージにあげられるか!まず生活を正せ」

 俺「、、うるせー!」(←とは言ってない)

しょうがないので今後卒業まで、
遅刻しない髪染めない悪さしない勉強する、エトセトラ...とゆう条約を締結させ、
校長、教頭、生活指導、担任、エトセトラ、
の前でオーディションライブが行われました、体育館で。

音響設備は当時の用務員である「佐藤さん」
、、は!、、、佐藤!

まずは彼について説明しなければなりません。


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 「佐藤タカユキ」
彼はSaToMansionの歴史においてかなり重要な人物である。
僕らが住んでいたのは岩手県二戸市。山々に囲まれた小さな町です。きれいな川もあるし、冬には白鳥が飛んでくる素敵な公園もある。


ではここで一曲!


佐藤和夫「冬の花」


(↑地元二戸市の冬を描いた歌です。佐藤和夫名義でリリースしています。GOGO!!⇒www.kazuosato.jp) 





しかし、不良の俺たちにとってはそんなのはどうでもいい、ロックをやらせろ!おいロックンロールが足りねーーーー!!!

とゆうボーイズが多かったかどうかは知りませんが、ライブハウスなどないこの町にロックイベントを仕掛ける人がいました。
それが「佐藤タカユキ」氏です。
市民ホールにドデカいスピーカーを積み上げ、市内で活動するロックバンドを数組ブッキングし定期的に「BEAT CHILD」なるイベントを行っていました。
自身も凄腕のドラマーであり、彼のバンドでブランキージェットシティーの曲をアレンジして叩きまくってたあの姿に衝撃を受けたのを覚えています。

そんなバンドたちに混ざって出演している兄ユキシロ(当時ボーカル w笑w)と、兄ヒデキ(当時ドラム 変わってない)。それを見に行く小学生の僕、に付き合わされる友人数名。とゆう図。
シュールですね。ノブユキの気持ちよくわかります。

 僕のライブ初体験は、ミスチルでもなくイエモンでもなくニルヴァーナでもなくゲスの極みでもなく、兄でした。

、、、残念だ、、、

それでもカッコいいと思ってしまう、それがロックの魔力ですね。
ただノブユキと違うのは、
いや絶対に俺の方が上手い、そしてカッコいい、、おれのほうが、絶対に!
俺をステージにあげろ、
おい俺をステージにあげろーーーーー!!
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とゆう流れで文化祭の話しに戻ります。


大人たちの前で数曲演奏しました。
ブルーハーツのリンダリンダ、ハイロウズの青春、スピッツのチェリー、初めてのチュウ(ハイスタの日本語バージョン)、他にもあっような、
かわいい選曲ですね。
ほんとはミッシェルガンエレファントのG.W.Dをやりたかったんですが、校長先生向きではないと思い断念。




 予定曲を披露し、校長先生からのお言葉。



 校長「明日があるさをやりなさい」



・・は?


てめぇの明日を無くされてぇのか?

(↑とは言ってません)



和夫少年「・・れ、練習してきます」


・リンダリンダはうるさいので無し
→トレイントレインで許して下さい!

・初めてのチュウは原曲の方がいい
→お願いします!この曲だけはこのままロックバージョンでやらせて下さい!

・佐藤君はこれから卒業まで遅刻しないで学校にくるように。
→うるせ


社会の厳しさを知りました。

 音響設備を担当してくれた佐藤タカユキさん(以下タカユキさん)
タカユキさん「年寄りさばわがねんだ。」
(↑通訳「お年寄りの方にはロックの良さが分からないのでしょう。」)


うんうん、タカユキさんあなたはやっぱり神だ!





第2章「シスコ野郎」


 帰宅後、メンバーでミーティング。
おいどうする!?明日があるさだぞ!俺はG.W.Dがやりたいのに!
しょうがねぇだろそれが条件なんだから!
ちくしょう!!じゃあシスコやろう!
え?シスコ野郎?
違うよシスコやっちゃおうぜ!
ミッシェルの?
おーそうだ!シスコやろう!
よし、シスコやろう!
シスコやろーーーーーーーーーーーー!!

明日があるさをやるかわりに、ミッシェルガンエレファントのCISCOを本番で内緒でヤってやる!
という小さな反抗をすることで僕らの心は是正され、明日があるさの練習にも真剣に取り組むことができました。






第3章「スター」




本番はよくある高校の文化祭ライブとは違い、全校生徒が強制参加型の後夜祭の一枠で、一般の人も体育館に集まり、
約500~600人くらいいたかと思います。

徐々に高まる緊張感。メンバーの一人は学年会長でしたので、本番前の彼のスピーチにメンバー全員で混ざり、
「3年間僕らが頑張ってきたのは勉強やスポーツ、その他にバンドでした。今日はそのバンド演奏を披露します」
的なノリで披露させていただきました。


ライブが進むごとに徐々に上がっていく会場のボルテージ。
協力してくれていた先生たちも友人達に混ざり最前で盛り上げてくれました。

そして最後の曲
「明日があるさ」

全校生徒オールスタンディングオベーション。
まさに会場がひとつになった瞬間、圧巻のステージ。まさにスター。
俺達、スター


明日があるさも悪くない。


CISCOの時だけみんな、ん?みたいな感じだったけど、
うちの家族も友達も当時の彼女のお母さんまで大喜び。
音楽人生のピークでした。







第4章「転落」



文化祭ライブの興奮冷めやらぬも、学校生活は普段通りに戻っていきます。
ちやほやされていたスターもただの不良に戻っていきます。

事件は起きました。


その頃俺たちが接触し始めた隣町のヤンキー「K」彼はいわゆるガキ大将、悪名名高いヤンキー界のスターでした。(とてもちいさなせかい)
そいつが
お前んとこの学校行ってみてーな。
いいぜ、来いよ


ケンカがはじまりそうな流れですがそんなかっこいいもんではございません。
暇な俺たちみんなで体育館をただ眺めていました。



K「卓球してーな」
和夫「やろーぜ」



弱そうな卓球部を脅し卓球台を占拠。
優雅に流れるピンポンの音に酔いしれていたのも束の間。

体育館と校舎を繋ぐ大きなドアが勢いよく開く。

大きな体育教師、現る。

それに続いて何人かの教師、現る。

走る。

走る走る。

走ってくる。

こっちへ。

俺達めがけて。
 


「ヤバイ。逃げろ!」


一目散に体育館を抜け出し、遠くへ、遠くへ。

早く、もっと早く。

もっと、もっと!

走れ。走れ!

RUN!
RUN!
RUN!
ウェイ!
ウェイ!
ウェイ!


ラナウェイボーーーーーーーーーーーーーーイ!!!!


SaToMansion「RUNAWAY BOY」









女子バレー部のブスがすっごい顔でこっち見てると思ったんだよな

和夫!いいから走るんだ!
 



まいたかな...
どうだろ


とっさの行動だったので、K達とははぐれてしまいました。


あいつら、大丈夫かな...




犯人は現場に戻ると言いますが、僕らも例外なく、ゆっくり体育館の方へ歩いて行きました。



いきなり角からいきなり角からいきなり角から(三回目)

先生登場。



「やぁ先生、調子はどうだい?」


あえなく御用。







職員室でさんざんぶっ飛ばされたあと、一緒にいたのはどこのどいつだ!
「知りません」

どいつだ!
「〇〇中学のKです」

すぐ言いました。


あいつか....


(知ってるんだーやっぱkは有名だなーすごーい^^)



文化祭の時一番僕らに協力してくれていた先生、ずっと黙っている。

黙っている。

座ってまだ黙っている。

逆にこわい。

次の瞬間。


「どんがらガッシャーン!!!」


目の前の大きなガラステーブルをひっくり返す。巨人の星のように。

まじか...

とゆうか他の教師たちがマジでひいている...そして見なかった事にしている...
いったい誰が片付けるんだ..まぁやっぱ俺達だよな~..しかしもともと喜怒哀楽が激しい先生だからこうなってもしょうが..「おいお前ら」

「はいっ!」




あの時俺達がどんな気持ちでお前らに協力したと思ってるんだ


(それを言わないで、)




お前らの熱意が嬉しかった


(やめてー、)




信じてたのに


(死にたい、)




まず一番協力してくれたタカユキさんに謝ってこい


(、、、、はい、、、)





約束破ってごめんなさい。




タカユキ氏
「不良ってゆうのは、
 何もする事が無いから群れる、何もできないから悪さする。
 お前らはミュージシャンだろ、くだらないことする暇があったらお前はスティック持て!
 お前はギター弾け!」


手をあげるでもなく淡々とご指導いただきました。
今でもずっと胸に残っています。




というわけで、もちろん親は学校に呼ばれ、頭を下げます。
自分はどれだけ殴られても痛くないが親が頭を下げるのを見るのは痛いですな...
その時は母でしたな...。



SaToMansionの母(マジ)























次の年からバンド演奏は禁止になりました..
俺らみたいなのがいるからロック=悪みたいになってしまうのかしら..

ちくしょうあの時はなんなすごい楽しそうだったのにー!!
すません反省してます...
ご迷惑をおかけした皆様誠に申し訳ありませんでした...。



とても小さな事で大きな信頼を失った僕達。
中学三年にして人生の栄光と挫折を経験させていただきました。


ありがとうございました。



終幕

ちゃんちゃん♫
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あれ、
ただの昔話になってしまいましたが、こういった出来事一つ一つが今のSaToMansionの楽曲を生み出しているといっても過言ではありません。
無理やり繋げます。

このあと高校に入ってから自分で曲を作るようになり、TEXAS STYLEが生まれました。初期のベーシストは
文化祭バンドでベースを弾いていた峠下雄治です。中期以降は知ってのとおりリュウタですね、ドラムはサトマンと同じくオデキです。
約12年活動していましたが現在は活動休止中です。




ノブユキのブログで触れていましたが、TEXAS STYLEは売れるために活動していたわけではありません。
僕にとっては誰のためでもなく、自分が自分であるための場所でした。
それがこのバンドの美学です。


人は年を取るし、環境もかわります。
自分の為だけではなく、誰かの為に歌いたいなと今は思います。それが今の僕の美学です。

美学を追求することが僕の美学です。


せっかくなのでチバユウスケ先生の好きな言葉



「変わらないでいるために変わる 当たり前じゃんかそんな事」
The Birthday 「Buddy」より引用




僕の心を救ってくれた音楽があったように、僕らの音楽が誰かを救うことができたらなと思います。



僕は新しいバンドを始めます。
SaToMansionの使命はそこにあると思います。



個人的には実の四兄弟というのはどうでもよくて
今僕が表現できること、したいことを一番共有し合えるのがこの四人なんだとゆう事です。



だーーーいぶ長い記事、読んでくれてありがとうございました!!

やりはじめると止まらない癖があるんですよねー^^
半年分くらいは書きました!


それではライブでお会いしましょう!



SaToMansion をどうぞよろしく!!!!























SaToMansion 佐藤和夫


2015年12月20日日曜日

次男、ドラム、英樹



まず、今までTEXASSTYLEを愛してくれた方々、応援してくれた方々、
心から感謝申し上げます。


自分自身TEXASSTYLEを愛しています。
TEXASSTYLEは自分たち少年時代の夢や憧れを象徴したバンドです。


夢や憧れはそのままで。

今までより大きなステージに立てる日がくるのを一緒に待っていてくれたら嬉しいです。







さて、話題沸騰中SaToMansion、Drums次男の佐藤英樹です!!



兄弟それぞれの才能を最大限に活かしたバンドにしていこうと思います!



新しいものを受け入れるのには時間がかかる方ですが、生まれたてのバンドとして柔軟に謙虚に挑戦して行きます!



滑り出しは順調だ!




もうあまり日がないけど2016年1月4日よろしくお願いします!!

きたほうがいいよ!





兄弟しか知らない恥ずかしい話しは腐るほどあるので、小出しにしていきます!





待て次号!!

2015年11月24日火曜日

長男、ベース、幸城



SaToMansion、
Bassの佐藤幸城(長男)です!

幸城初ブログです。

最初だし音楽を始めたあたりからの昔話から。



僕が中学入ったくらいのお話。



母親がどこからかアコースティックギターをもらってきた。



当時、兄弟の間ではヒーローものなどの人形を操ってオリジナルなストーリーで遊ぶのが流行っていた。パペット的な遊び。



「お前らはまだウルトラマンだかなんだかのおままごとか?おれはギターっていうかっこいいやつでイーマイナーを弾いてるんだぜガキどもが」




そんな事を想いながら人形劇に無我夢中なコドモ3人を横目にギターを爪弾く。



幸城は新しい遊びを覚えました。



しかし、この瞬間。

僕の、
そしてこの兄弟の音楽ライフな人生がはじまります。






やがて、
そんな渋くてかっこいいおにーちゃんに憧れてみんな続々と真似をしだします。







とはいえ
当時はまさかみんな音楽をやるなんて思ってもいなくて

英樹は美容師、
伸之は料理人、
和夫はチンピラ、

になるもんだと思っていました。




時は流れ
幸城、音楽を志し上京。



その4年後英樹、
「やっぱドラムやるわ」
と、呑気に上京。

その次の年、
ギター担いで
無言で和夫上京。



そしてその4年後、
まさかとは思いましたが
ギター担いで伸之上京。

この時が1番両親ごめんと思いました、、、、、




それでたまーに4人でスタジオ入ったりしててその当時から心の中で絶対兄弟4人でバンドやったら面白いと思ってました。

ただ当時はバンドで成功するっていうイメージの中に兄弟でやるってのはなかった。



そしてまた時は流れ、、


幸城バンド脱退
英樹バンド活動休止
和夫バンド活動休止
伸之バンド危機


やっぱり相当なものをバンドに注いできたので
それがなくなると
ポッカリと穴が空いた感覚になる。


それはみんな同じだと思う。
一緒に住んでるし前より時間はあるし自然と4人集まって飲む事が多くなる。

おれはお酒だめだけどあのときはみんなすごい飲んでた。


特に和夫は毎回吐くまで飲んでた。





それを繰り返してるうちに
「SaToMansion」結成に至ります。







ちなみにその住んでる所が○藤マンション。

佐藤ではないけど!
よくみんなで○トマン。って呼んでます。
それがサトマンになり「SaToMansion」
になったのかどうかはわかりません。




で、いまの話。




実はスタジオ入って曲作ったりしはじめてけっこう経ちますが
不思議なもので兄弟ではなく
メンバーという意識が強くなって来ました。


でもぶっとんだアイディア出し合って盛り上がったり
つまんなくなったら全く別の事はじめたり、、、

人形劇をやってたコドモ4人となんも変わってない気もします。



これからこのバンドにどんな未来が待ってるのか今から楽しみです。


最近いろんな良くないニュースがあるけどこのメンバーこのバンドで
せめて一回はライブやるまで絶対死にたくないなーとふと思う事があります。


なので1月4日、
渋谷cyclone。


ピースフルなライブハウスに足を運んでもらって
良いライブをしてピースフルなスタートをきりたい!






「SaToMansion」

よろしくお願いします。









最後に


あまり過去を振り返るのは好きではないけどこれまでの音楽人生

たくさん支えてくれた人がいた事
かけがえのない仲間がいた事
素晴らしい日々があった事

をしっかりここに記しておきたい。

感謝しかないです。







そういえばあのアコースティックギターはどこ行った?






2015年11月17日火曜日

四男、ギター、佐藤伸之

初めまして、先日11/11に結成を発表した四兄弟バンド「SatoMansion」のギターを務めさせて頂きます、佐藤家の最終兵器こと四男の佐藤伸之です。



知らない人も多いと思うので自己紹介的なものを少し。



三人産んでみたものの全員男で女の子が欲しかった母親が最後の希望を込めて産んだ結果残念ながら男だった、そんなまるでハズレくじのように僕は生まれてきました。
誰がハズレや!

僕だけ少し歳が離れていて、一番上とは10歳離れているので
僕が8歳くらいの時にはもう長男は実家にいなかったです。
もう誰?って感じです。


岩手の実家では上三人の影響で物心ついた時から音楽が溢れていました。
しかし幼い頃の僕は全く音楽に興味がありません。むしろうるさい。
ポケモンやデジモンに夢中です。
小学校時代は野球やバスケのスポーツ少年団に入って汗をかく毎日。


中学に入り、ひょんなきっかけで一つ上の兄、和夫に
モンパチの小さな恋の歌の弾き方を教えてもらいました。


こいつは面白いなーと思ったけど、その後和夫はすぐ上京したし、周りにギターやってる友達なんていなかったしすぐに弾かなくなっていきました。



そして中学三年の部活を引退して暇してた頃。

中学の用務員の夏林さんと休みの日にばったり会い家に遊びに行くことに。
その家にはギターが置いてあり一緒にスピッツのチェリーを弾きました。

その日を境にそこが仲間たちの溜まり場になりました。

そして女の子にモテたい年頃の俺たちは「ライブやろう!」となりました。


スピッツや19のコピーをしてライブに向けて練習する毎日。
いやー楽しかったな、原点だね!


そして中3の冬に人生初ライブを迎えます。

すごい緊張したけどなんだか得体のしれない満足感のようなものを
感じたのを覚えています。


その感覚を忘れられず音楽にのめり込んでいきました。




ある日、母が「のぶ〜、かずくんとひでくんが盛岡にくるってよ〜」
兄貴たちのバンドが盛岡にライブしに来るというので
よし、おれだってギターやってるし、行ってみようじゃない!
と、お母さんお父さんと三人で盛岡にむかいました。

人生初ライブハウスです。中学校の鼻垂れ小僧には衝撃的でした。




なんじゃこりゃ・・・

後ずさりしてしまうような爆音、ギラギラとひかる照明

ドラムをぶっ叩き、マイクに向かって叫び、ギターを投げ捨てるお兄ちゃん・・・


・・・



なんてこったい・・・



・・・ギター投げるならおれにくれよ・・





ロックミュージックに出会った瞬間でした。


そこからいろんなロックの音楽を聴きあさりました。



和夫お兄ちゃんにロックといえばなに聞けばいいの?
とメールをしたらブルーハーツとかでいんじゃない?って返ってきたような気がします。



そして高校からはロックだ!ということでロックバンドを組みました。






書いてるうちに楽しくなってきてもっと詳しく書きたいんだけどすごく長くなりそうだからまたあとで別で書こうかな。









じゃここから『SaToMansion』について。



結成のきっかけ。



人に兄弟4人いてみんなバンドやってますっていうと、



親不孝だね〜

兄弟でバンドやったらいいじゃん!




大体こう返ってきます。





たぶん4人が4人このくだりを飽きるほどやってきたと思います。



なぜ4人で今までやらなかったか。


答えは簡単。それぞれがそれぞれのバンドで全力で売れるために活動していたから。





なぜ今結成したのか。



何を隠そう、言い出しっぺはおれです。


言い出そうと思った理由はいくつかあります。


まず一つは、おれ自身ボーカルを務めるDirtyMotelで活動していく上で
どうやったら多くの人に聞いてもらえるのか、毎日考えていました。

どれだけいい音楽をやろうと何か特別な方法で自己プロデュースしていかないと厳しい世界です。自分の音楽を日々磨くのはもちろんだけど、それとは別の動きでなにか取っ掛かりがない限り多くの人の目に触れる事は難しいという壁にぶつかります。
思いついた事をやってみるけど結果が出ない日々。いかに音楽で売れるという事が難しいか思い知らされます。



そしてある日気づきます。兄弟4人でやれば話題性があるんじゃないだろうか。(今更)

でもそれでは仮に売れたとして本当に音楽で売れたと言えるんだろうか。
卑怯な方法なんじゃないか。





おれが出した答えはこうです。

確かにそういう意見もいずれ出てくるかもしれない。
でも親がせっかく4人健康に産んで育ててくれて、音楽の道に反対もせずにやらしてくれている。これを使わないのはもったいなすぎる。よし親孝行しよう!という事です。
批判上等!お母さんお父さんLOVE!




もう一つの理由として、長男幸城のバンド脱退。

次男英樹、三男和夫のバンド活動休止。


ずっと背中を追いかけてきた兄貴たちの不穏な空気。


よし、おれの時代が来た!おれだけ売れちゃおうー♪と思ったけど


おれは兄貴たちに影響受けて背中追いかけて音楽始めたわけで、やっぱりミュージシャンとしての彼らが好きなわけです。
大きなお世話だと思うけど音楽諦めてサラリーマンになった兄貴の姿なんて絶対に見たくない。でも後はおれに任せろなんていうだけの力も無い。まだやってもらわなきゃ困るのです。




ある日、和夫兄のソロライブを見に行った。


上手なミュージシャンを集めてすごく質の高い音楽をやっていた。
すげえなと思ったけど、でもちょっとだけなんか違う。
もっとかっこいい和夫をおれは知ってる。

和夫の後ろでアップライトを弾く幸城。
まあかっこいいけど、もっとかっこいい幸城を見た事がある。


オデキの別のバンドのライブを見にいく。
先輩に囲まれて叩くオデキ。かっこいい。



兄弟4人でロックバンドやれば・・・きっとかっこいいバンドになる。
そういうビジョンが見えました。



四兄弟という話題性を最大限に駆使して、それぞれの活動で培ったものを持ち寄って
みんなで力を合わせれば、きっと今と違った景色が見える。
そう確信しました。



言いだすには少し勇気がいるけど、ここはおれが起爆剤になるしかない。


そう思ったのです。





そしてある夜、おれは兄弟のLINEグループにこう一言だけ送った。






「4人でバンドやろう!本気のやつ!」







ここからSaToMansionが始まりました。






このバンドに関して言えばメンバーチェンジなんて無いし、新メンバー加入もないし(隠し子がいなければ)一生続けていきたいですね。





最後になりましたが、活動を続けていくにはみなさんが必要です。
聞いてくれる人がいなければ音楽は成り立ちません。
必ずいい音楽を作ります。元気が出るような嫌な事忘れさせてくれるような
そんなバンドに必ずなります。約束します。




SaToMansionをどうかよろしくお願いします。



Gt.佐藤伸之